■第九話 風について
去年もその前も、あのお墓に行っていない。十字架が立ち並ぶ中、ただひとつ斜めに柱が切断されたお墓。ノルマンディーのアナーキスト一族。それは赤い一滴のように私の血脈に交じった。
せんだって「ポストマンブルース」と「白痴」のDVDを見た人と話しかけたところだった。ムイシュキンはなぜ美しいのかを話し始めれば止めどもなかったことだろう。
「ポストマンブルース」の郵便屋は、赤い自転車を漕ぎ続けることに退屈するのだが、ある晩に部屋を吹き抜けるような風の便りを読んだことから、風を赤い自転車で送り届ける配達人になった。その時以来、自転車は海と空のような青の中を突っ走り始める。
真っ白なシーツが翻る病院の屋上で配達人は、同じく風の便りを待ちながら、遠くを見ていた人々と巡り合う。そのひとりは「殺し屋ジョー」。
ジョーといえば、「囁きのジョー」。つまらなかったけれども、麻生れい子が好きだったから、最後まで見てしまったあの映画は、ブラジルに行く夢を追い求め、恋人と水平線へと旅立とうとするジョーの物語だった。
でも、「殺し屋ジョー」は鞄下げて故郷に帰り、砂に隠した「錆びた拳銃」水鉄砲を見つけ、嗚咽、喀血する。いいではないか。
ジョーの唇が赤く染まった秋に、「ロリータ」のサングラスかけ、太もも拳銃の金髪が現れ。そうさ、殺しはメロディーだ。
郵便屋は突進する。風の便りを交わした人々と「彼方に行く」ために。
春三月縊り残され花に舞う。とある人は言った。
■第八話 草原について
調べることもなかったから、今でもなぜかと考えることのひとつは中国最後の王朝の女真の弁髪。そして、なぜ弁髪かといえば、「隊長ブーリバ」。
テアトル東京で「これがシネラマだ」とか「アラジンと魔法のランプ」を湾曲したスクリーンの中で見たのは、遠いとおい昔の話だった。母が大切にしていたロレッタ・ヤングなどの縁がぎざぎざしたブロマイドの思い出。
小学生の時に父と姉と一緒に見た「隊長ブーリバ」は私にとって、とても大切な映画物語の一齣となった。映画の中で初めて恋に落ちたからだ。ポーランド王国のナタリア姫、クリスティーネ・カウフマンに。
韃靼と結んだコサック、タラス・ブーリバは弁髪を絶ち切って城の陥落を誓い、最愛の息子たちをキエフの大学に送り込んだ。そのひとりアンドレイはナタリアとの絶望的な恋に陥り、兵糧攻めで城が陥落寸前になった秋に、父を裏切ってしまう。
ポーランドの軍装をした息子をブーリバは射殺し、アンドレイの姿を求めて城の前を彷徨うナタリアの場面で映画は終わった。
アンドレイと見初めあった時の白い毛皮姿。あの夏草の上での逢瀬。カウフマンがどれほど胸に焼き付き、長い間、記憶に宿り続けたことか。
再び映画館で見ることはなかったが、パリでポスターを見つけ、まだ幼かった二人の息子たちの部屋に飾った。
ある時、あるフランス女性が息子たちを見て「ユーラジアン」と言った。そんなつもりはなかったのだが、そうか「ユーラシアの子」かと思った。
女真は騎馬民族ではなかったみたいだけれど、東と西の弁髪が今でもステップを自由自在に駆け巡った人々を想像させる。
「隊長ブーリバ」を見る前に、銀座で頂いた炸醤麺もとても美味しかった。
■第七話 かっこいい死に方について
数日前にとある麗人と晩ご飯をともにし、泥のように酔い、タクシーで送るはずの私は逆に送られてしまった。二日酔いの朝はブルー。死にたいと思った。
紺碧の海のように明るく青ざめた顔にずり落ちそうなダイナマイトを頭に巻いたベルモンドが導火線に火を付け、そのあと火をもみ消そうとしながら自爆してしまったのは、かっこ良かったなと思いだしながら、メルビルの「いぬ」の最後の場面が頭を過った。背中から撃たれ、死ぬ前に鏡の中で「帽子」を被り直したベルモンド。殺しに行くレジアニが河岸を歩く姿から始まるこの作品は、トレンチコートをまとった男たちが死に場所を探す物語だった。
メルビルは夜中に脚本を書いていた。夜。ベルコールの「海の沈黙」。そして沈黙。
ルーベのフーガが流れ、トレンチコートのドロンはメトロを乗り換え逃げる。生死の河岸を隔てるような橋の上で傷ついた殺し屋は「サムライ」という作品の主人公だった。ほとんど家具のない殺風景な部屋で飼っていたカナリアが発狂した秋に死に場所は定まるのだろう。深手をアルコールで消毒し包帯を巻くドロンの肩から腕、そして手の描写は素敵だった。
追いかけるフーガが消え失せ、鍵盤を奏でながら見上げるピアニストを前に追いかけ続けたペリエにドロンは殺され、あとには弾倉していなかったリボルバーの穴が空転する
。
■第六話 晩夏あるいはズルリーニ
あと二三日もこの暑さが続けば蝋のように溶けてしまうのではないかと息も絶えだえだったあのシリウスの夏の記憶がどこかに残っているのだろうか。それにしても肩透かしを喰わされたような夏。数日前の夜明けに遠雷が鳴り雨音を寝床で聴きながら「さらば夏の光」に名残惜しい思いがした朝だった。
ある人と夏の盛りにヴァレリオ・ズルリーニの話をしていた。「激しい季節」のエレオノラ・ロッシ・ドラゴの眼差しについてだった。なぜだか私は夏になるとこの作品を繰り返し憶い出してしまう。それだけ夏という季節の移ろいを鮮やかに感じさせてくれるからだろう。真夏と晩夏。戦争末期のイタリアの夏。バカンスの砂浜が空襲された時、トランティニヤンが泣き叫ぶ女の子を胸に抱いた瞬間にロッシ・ドラゴとの視線、あるいは死線の交錯の物語が始まる。ファシストの父を持つトランティニヤンが反ファシストの母に監視されるロッシ・ドラゴと出合った瞬間から、この物語は夏の破滅へと導かれる。
初めての逢引。そして映画館でトランティニヤンの恋人、ジャクリーヌ・ササールの視線に阻まれながら、二人が遠くから交わす眼差しは、再び空爆で映画館が暗い廃虚と化した後に禁制の「テンプテーション」の曲が流れる中で交錯することに遂に絶えきれなくなる。それがラディゲの「肉体の悪魔」に似ていても、あるいは私が愛するメロドラマとけなされても、ズルリーニは戦後イタリアの夏をこのように描いた。
「鞄を持った女」がパリで再公開された。初めて日本で見た作品。その後ズルリーニに出合ったのはパリの映画館でだった。「家族日誌」、「タタール人の砂漠」、そして「激しい季節」。
間もなく黄金の秋が訪れる。
■第五話 革命的映画とはなにか
バカンスで隣人がいなくなったアパートは、階段を慌ただしく遅刻間際の少年が駆け降りる目覚まし代わりの騒音がないだけに、つい惰眠を貪ってしまう私にとっては不便なことだ。
中庭に毎朝散水する隣のおばさんもいなくなってしまった。寝ぼけ眼をこすりながら、「Is」の少女の時計がぶら下がっている洗面所で歯を磨き、シャワーを浴びながら「またの夏また骨肉を食わんかな」と私は呟く。
またの夏また「パリ-プラージュ」との記事を目にし、それにしても、あの砂に数日もすればどれだけの汚物が混ざっているのか、不潔なことに誰も頓着しないのが気にかかった。波の打ち寄せないプラージュ。巨大な砂場。それはさておき、この夏のパリはブラジルの年。サンバやルンバ。懐かしいボサノバ。アストラッド・ジルベルト。
再びあの夏に戻れば、私は休みの解放感で映画館を梯子していた。「アートシアター」の隣には百円映画館が二軒あって、そのひとつはいつも満席だったから、立ち見がてらに「反撥」のポスター剥がし、また一枚。鋲穴の裏に小さな紙を貼り、こうしてコレクションは増えていった。その隣ではイタリアのバラエティー映画「世界の夜」とか、なんだかわけの解らない「世界残酷物語」などを上映していたかと思えば、「軽蔑」もその範疇に入っていた。裸のカミーユが寝そべっていた面をあげる時。うろたえた夫がジャック・パランスの車を追いかける秋。
なぜユリシーズはエーゲ海を彷徨い続けたのかとカミーユは問う。ペネローペがいるイタケ島に帰りたくなかっただけさ…。
真っ青な空を背景にした戦士の白い彫像を写しながらカメラは回る。フリッツ・ラング監督に最後のカメラワークを尋ねた後、輝く水平線上に巨大な疑問符だけが残った。それは余談にしか過ぎない。
二軒の百円映画館の間には「蝎座」という小さな地下映画館があった。今となっては想い出にしか過ぎないのだが、足立正生の作品の一部が記憶に残ってしまったのはなぜなのか。
そして、グラウベル・ローシャの「黒い神と白い悪魔」あるいは「アントニオ・ダス・モルテス」が。夕暮れ時にそんなことを考え出すと、ジルベルトの透き通った物憂い 声と風が耳朶をかすめる。
■第四話 雨傘とガレットについて
さっきひょんなことから久し振りにリボリ通りに出て、ケンゾーの店の前を通りかかったら、齡のほどは思い知れるのだが、すらりとした姿の可愛らしい面立ちの女性が少し破れた洗いざらしのブルージーン姿で現れて、かっこいいではないか、お洒落でシックではないかと見惚れてしまった。
流行といえばついばかにしてかかる私は、昨今の汚なジーンズに一段あるいは二段腹した若い女性がこれまた田螺の佃煮のごとき臍を開陳して闊歩しているのに辟易していたからなおさらのことだ。
でもそんなことはどうでも宜しい。これから語ろうとするのは、なぜ国立を皮切りに新宿、あるいは駅名を忘れたが「武蔵野館」であったか、雨傘屋を追い求めてシェルブールにまで辿り着いたかの物語だ。嘘ではなく100回以上見てしまった。見た映画を手帳に記していたからだ。
きっかけは中学生の時に今はなき「国立名画座」という通学していた学校がある街のただひとつの映画館の前に、雨傘さして向かい合ったギイとジュヌビエーブの素敵なポスターが張ってあったからだ。
アイリスインで雨に煙った港が映り、奇麗な雨傘が一列に並び、そしてミシェル・ルグランの曲が流れる。
このオペレッタ映画のどこにそこまで惹かれたかといえば、それはガレット・デ・ロワの場面だった。「ロラ」でアヌーク・エーメに失恋したカサールがその後宝石商になり、雨傘屋で母娘と三人で晩ご飯。フェーブを引き当てたカトリーヌ・ドヌーブが王冠を戴き、伏せたまぶたを開くあの瞬間。
だいたいこの場面が終わるとトイレに行っていたので、正確には100回以上とは言えないかも知れないけれど、最後の雪のシーンとアイリスアウトで閉じる物語を私はこよなく愛し、アフリカにいた時、あの30年前のパリが異常に暑かった夏に、ちょうどパリに来ていたクラスメートと行き先切符も買わずに列車に飛び乗りシェルブールに行った。
鄙びた港町には「シェルブールの雨傘」にちなんだ小物が店先に並び。二人して酒場で飲んだくれ、雨傘屋はどこかとおかみさんに尋ねたら、スタジオとの返事が返ってきた。そんな夏があった。
■第三話 カイリー・ミノーグ、あるいは「血と薔薇」について
21日にメルボルン郊外の病院で手術が無事成功したというニュースに感動したのは私だけではないだろう。先々週末だったか、いつものようにいつものキャフェで妻と息子たちと会いながら、「ウイかノン」かと訊ねられ、憲法ではなく離婚と取り違え、話を乳癌にそらしたら、冷ややかな眼差しと、ポーカーフェースで残酷なところが誰かに似ている息子のひとりから、「ニコール・キッドマンも乳癌さ」との微笑みが返ってきた。
血は争えないものだ。
カイリー・ミノーグ。「ムーランルージュ」の小さな妖精。唇に一筋の血を滴らせて絶命したニコール・キッドマン。
カイリー・ミノーグはあるコンサートで「バーバレラ」になった。銀河系をキャデラックで渡る「アルファビル」のように、このスペースオペラがなぜか心に残るのは、アンナ・カリーナを探すレミー・コーションことエディ・コンスタンティーヌと、ジェーン・フォンダを抱きかかえる盲目の天使、ジョン・フィリップ・ローの姿が美しかったからだ。「SFマガジン」と早川文庫を読み耽り、三本立て「オデオン座」を始めみゆき通りの映画館をうろついていた頃。夜ともなれば「銀座アシベ(ACB)」の前で年上の女の子が嬌声をあげていたのを通りすがりに目にしたあの頃。この二作品は「愛のスペースオペラ」として胸に焼き付いたのかもしれない。
ロジェ・ヴァディムは不幸な作家だった。才能がなかった。枕頭のシネアストは多分、マックス・オフュールスだったのだろう。それはあの「輪舞」のリメイクの無残な失敗に見て取れるのだが、その才能のなさ故にかばいたくなる私は、「スウェーデンの城」とか「獲物の分け前」を再び見たくてしかたがなく、ついでにポーの連作「世にも怪奇な物語」の「火付け女」ジェーン・フォンダにも想いを馳せてしまう。なぜならば、「ドッペルゲンガー」のアラン・ドロンとともに「世にも怪奇な美男」テレンス・スタンプと好対照をなしていたからだ。
それはさておき、ヴァディムはレ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」を「血とバラ」として残した。吸血鬼映画があまたある中で、この作品はある「伝説の午後」となった。萩尾望都の「ポーの一族」のように。ヴァディムは一滴の血が滴る秋を描いただけでも幸いだった。
■第二話 マリア・シェルの死、あるいは「白夜」の笑顔について
マリア・シェルの訃報に接しあの美しい笑顔の喪失を惜しんだのは私ひとりではないだろう。トイレのシャス-ドーが壊れ、二人のプロンビエががたがた分解している最中に、ル・モンドの死亡記事を読みながら、なぜか胸につかえるものがあった。「居酒屋」。ル・モンドにしても彼女の代表作としてこの映画を取り上げていたけれど、あれはマリア・シェルではなく、フランソワ・ペリエの映画だった。
ついでに言えば、ルネ・クレマンはレジスタンスとはこれほど手際が良かったのかと目を疑うプロパガンダ映画「鉄路の闘い」や「禁じられた遊び」のセンチメンリズムで名を馳せ、「太陽がいっぱい」でまったくうんざりさせてくれた、どことなくコスタ・ガブラスなどと相通じるフランス流のアホな作家であった
アレクサンドル・アストリュックが「映画万年筆論」を唱え、「女の一生」を映画化した時のマリア・シェルの憂愁の美にはやや心を打たれた。あの映画のどこが「万年筆」であったかを理解できなかったのは私の頭の悪さに由来するのだろうが、相手役のごつい木偶の坊、クリスチャン・マルカンには辟易した。あれはどう見てもつまらない作品なのに、その後、エクリチュールなる言葉が映画批評に羅列される季節が訪れ、アラン・ロブグリエなどなど、「書いた」とか「消しゴムでけした」とかいう面妖な批評が現れ、そうか映画とは小学生の作文みたいなものに過ぎないのかと哀れを催した。
それはさておき、4月に帰国し、読むものがなかったから家に転がっていた「文芸何とか」いう気色の悪い雑誌の昨年11月号の頁を捲っていたら、ルキノ・ビスコンティの最高作は「山猫」と「家族の肖像」と書いてあった。なるほど。この「赤い貴族」は晩年「ピンク」になってしまったのだが、なにぶん「あちら系統」の人でもあったことが災いしたのか「真っ赤」になり切れないところはあったものの、「あちら系統で」ひとつの佳作を残した。「美男アントニオ」ことマルチェロ・マストロヤンニとジャン・マレーの「白夜」だ。「白夜」のマストロヤンニに「あの人」への想いを語り続けたマリア・シェルは最後に「あの人」が現れると、こよなく明るい笑顔を湛えて映画は終わる。これを残酷と感じなかったがために、私はマリア・シェルの笑顔を愛するのだ。マリア・シェルのあの笑顔を最後に見たのは、フィリップ・ド・ブロカの「Le
Diable par la queue」だった。
■第一話 アーネスト・ボーグナインについて
テレビをアンテナに繋げていないし、ビデオと DVD を見るためにだけ使っている私は、去年視聴料の請求書が届いた時に、テレビは見ていないと返事したら、それでもテレビを持っているなら払えという税務署とすったもんだしたあげく、別居している妻から「もういい加減にしたら」といわれ、
68 年にエコール・ノルマル・シューペリユールの敷石はがして投げたという過去とはえらい違いではないかと思いながら、年越して払ったのだけれど、その時に小切手切りながら脈絡もなく思い返したのは、テレビですら見ていなかったあの
9.11 事件のオムニバス映画のひとつ、ショーン・ペンの短編だった。
アーネスト・ボーグナイン。アイロンかけた亡き妻のスーツを毎晩、ベッドにきちんとひろげながら懐かしんでいたはげ頭の老人が登場した時に、映画館で私の前に座っていた初老のカップルの御主人が「あれ!ボーグナインじゃないか」と奥さんに囁きかけたのは無理もない。「ワイルドバンチ」以来、私にとってもご無沙汰だったからだ。枯れた花が生き返る。日のあたらない家に巨大な構造物が崩壊して光がきらめく。
「ワイルドバンチ」は端役も含めて全てが素敵な男優ばかりだった。ウィリアム・ホールデン、ロバート・ライアン、エドモンド・オブライエン、ウォーレン・ウォーツ、ベン・ジョンソン。うんこしに行きマパッチにつかまったオブライエンと旧友ホールデンを追うライアンを除き、全てが壮絶に死んだ。いいではないか。
しかし、私はあの映画で、序破急の破れから物語の死を急ごうとする流れの中で、黙々とナイフで小枝を削っていたボーグナインの姿を思い出すのだ。ホールデンとボーグナイン。ホールデンとライアン。西部劇では愛しあう男たちのいずれかが死ぬ。ワイアットアープとドクホリデーのように。
by : 空
プロフィール : 在仏25年。もはや映画にしか喜びを見出せなくなった男。 |